読書記録『学校図書館の教育力を活かす』

「おそらく学校図書館に関するまとまった執筆はもうこれが最後になるだろうと思う。」(はじめに)

日本図書館協会理事長塩見昇氏による(本人の言を借りるなら)おそらく最後となる学校図書館関係の著作である。事実上の日本公共図書館協会と揶揄されがちなJLAの理事長の座にありながら、学校図書館界での学校司書からの評判は頗る良かった塩見氏。実際学校図書館史をはじめとした氏の著作は研究の蓄積が少ないとされる学図界において貴重なもので、塩見氏の執筆からの引退は学校図書館関係者にとって大きなダメージだろう。

学校図書館は、学校教育において欠くことのできない基礎的な設備」(学校図書館法第1条より)と単独法に規定されながら、それがとても教育社会界に認識されているとは言えない学校図書館の現状に、一石を投じるべく著されたのが本書である。学校図書館が欠くことのないできない基礎的な設備であるという認識を共有し、それが実体をもつことで学校教育は豊かになる。それが著者の本書を通したメッセージである(はじめにより)。

本書は7章構成となっている。以下、特に興味をもったところを拾いながら簡単に解説する。

第1章「学校に図書館を設置すること」は日本の教育界の歴史に触れながら、なぜ学校図書館が学図法に必置とされる設備となっているかを説明している。

第2章「高まる学校図書館への期待」では日本の学校図書館の転機となるとする93年とその前後についての流れから、現在にいたる学校図書館の事情までの流れを追っている。93年は「学校図書館図書整備5か年計画」始動の年であり「学校図書館図書標準」設定の年でもある。塩見氏が指摘するのは、これには80年代から始まる「自ら学び、自ら考える」学習の重視の流れから来ているということと、「学校図書館の現場で学校司書の実践が積み上げられ、当事者からの積極的な発信があったこと」の重要さ、である。後者の例として塩見氏は岡山市学校図書館充実運動を取り上げている。
「人がいる学校図書館のよさ」を積極的に発信するこの取り組みは、今なお続く学校図書館界の運動の走りとなっており、非常に面白い指摘だと思われた。

第3章「図書館のはたらきを備える学校」では、(学校図書館に人がいて)図書室でなく図書館として機能することで学校が活きるという説を突き詰めていく。

第4章「学校図書館の教育力」と第5章「教育力の7項目を個別にみる」では、著者が提起する学校図書館のもつ教育力7項目を挙げ、その関連と具体的な解説を行っている。
著者の言う「学校図書館の教育力」は以下の通りとなっている。

  1. 知的好奇心を刺激する多様な学習資源の選択可能性――個が自由に選択する学習内容の重視と広がり
  2. 体系的、組織的なコレクションの存在――学びの系統性の自覚と、未知のこと、知るべきことの多いことの発見
  3. 個別の要求、ニーズに即したサービスとしての相談・援助の仕組み――図書館の専門スタッフによって提供されるサービスに込められた教育性
  4. どこまでも所要のものを探求できる組織性(ネットワーク)の具備――知の世界の連環と探求の可能性を裏付ける図書館ネットワークの力
  5. 資料・情報のコントロール、再構成、そして発信――ニーズにそった付加価値を生みだし、共有から創造・交流・発信へ
  6. 知的自由、プライバシーの尊重――学校が一般的に備える価値観、文化との乖離も生まれがちだが、学校文化の覚醒にも?
  7. 学び方、学ぶ力(リテラシー)を身に付けた生涯学習者の育成――図書館を使いこなせる情報への主体的な生き方を生涯の生きる力に

*以上、本書74pより

一読して、いずれも学校図書館のもつ教育力として納得のいくところではなかろうか。5章では7項目それぞれの解説が行われるが、実際の現場の実践事例とその写真がふんだんに取り入れられており、少し遠回りながら、なかなかにおもしろい構成となっている。

第6章「教育力を活かせる要件」では、上記の学校図書館の教育力が活かされるために必要な要件を見る。例えば、教師の真摯な教育実践の存在(→必然的に図書館の存在と機能が必要となる)や、連携協力先となる地域の公立図書館の存在などが挙げられている。

第7章「これからの学校づくりと学校図書館――教育力を活かした学校図書館づくり 課題と展望」ではこれからの学校図書館の課題が挙げられる。著者が最大の懸案課題としているのは学校図書館専門職員の制度設計と配置の問題であり、法制化されながらも政治的な妥協からまだまだ問題の山積する学校司書の位置づけ、また司書教諭との二職種並置となった今、その関係・協力のかたちとは何なのかということである。二職種の関わり方にかんしてはいろいろな意見があるが、著者の意見はこれまでの職制という点から見てなかなかに現実的な指摘だと思われた。

本書を読んでみて思うのは、やはり同著者の『日本学校図書館史』を読んでおいた方が理解が進んだだろうなということ。作中何度もその名が出てくるので、まだ未読なのが惜しいところである(なかなか手に入らなくて困る)。
学校図書館への学校司書全校配置のために「学校教育の充実に確実につながることを実証する実践を一層広くつくり出す」という四十年以上続く手段が今なお有効であるのか、私にはわからない。2014年の学図法改正がその成功事例なのかも意見が分かれるところなのは重々承知だが、それでも魂を込めて職務をこなす学校司書・司書教諭たちの日々の実践を見ていて応援したくなる気持ちは、私にもわかる気がする。

読書記録『改訂 情報サービス演習(現代図書館情報学シリーズ7)』

改訂 情報サービス演習 (現代図書館情報学シリーズ7)

改訂 情報サービス演習 (現代図書館情報学シリーズ7)

私が司書資格を取った頃はまだこの科目はなく、「レファレンスサービス演習」と「情報検索演習」だった。
前者は図書館を使って専らテキストの課題を調べる科目だった記憶がある。後者は真夏の暑い中の集中講義でほとんど記憶にない。
ちなみに言うと前段階の情報サービス概説も集中講義で、このあたりの内容が欠落しているのはある意味仕方がなかったかもしれない。
ということで、今回は勉強のつもりでこのテキストを読んでみた。同シリーズの情報サービス概説の教科書はまだ読んでいないし、そもそも演習の教科書を実技抜きで通読することに意味はあるのか自分でも疑問だったが、いろいろ学ぶことがあった。

本書は2012年刊の樹村房のテキストが改訂されたもの。情報源はもちろん情報技術は変化がめざましいもので、そんな流れに合わせるために改訂が行われたという。
こういうのは同社の旧版か他社が出版しているの同名テキストと比較してどうのこうの言うべきだと思うのでここでは大枠でしか見ないが、圧倒的な量の情報源は特筆すべきだろうか。それらは現職のレファレンサーでもとてもカバーできているとは言えないものも多いだろう。況や自分のようななーなーな図書館員ならなおさらである。

1部 情報サービス演習の設計から準備まで
 1章 情報サービスの設計と評価
 2章 情報サービス演習の準備
2部 情報サービス演習の実際
 3章 情報資源の探し方
 4章 ウェブページ,ウェブサイトの探し方
 5章 図書情報の探し方
 6章 雑誌および雑誌記事の探し方
 7章 新聞記事の探し方
 8章 言葉・事柄・統計の探し方
 9章 歴史・日時の探し方
 10章 地理・地名・地図の探し方
 11章 人物・企業・団体の探し方
 12章 法令・判例・特許の探し方
 13章 2部に関する演習問題
3部 情報サービスのための情報資源の構築と評価
 14章 レファレンスコレクションの整備
 15章 発信型情報サービスの構築と維持管理
(部はローマ数字表記)

15章構成ということはそれぞれが一講義ぶんで半期の科目として想定されているということだろうか。そうなると3〜13回は延々演習が続くことになりそうだ(注・13章は演習問題一覧のみの章)。第1部は情報サービスとは何か、レファレンスサービスとは何かに焦点が当たる。第1章「情報サービスの設定と評価」によると、情報サービスとは「情報ニーズをもつ人に対して、その要求に合致した情報を得ることができるようにすること」と定義される。第2部では見ての通り調べ方の各論が解説される。ウェブページの探し方から判例、特許などのめずらしい内容のものまで扱う情報は多様である。興味深かったのは第3部で、レファレンスツールの評価の方法(14章)や、パスファインダー、リンク集の作成についてなど(15章)が扱われている。印象に残っているのが以下の2点である。

・レファレンスツールは評価基準をあらかじめ自館で決めておくこと
・レファレンス事例記録のためにレファレンス共同データベースに参加し、まず自館のみ公開から始めてみることをすすめる

なるほどレファレンスツールの評価基準をあらかじめ定めておくことは、複数人でそれらを管理する上で便利である。本書では評価基準とその評価の一例が掲載されていてなおさらよかった。レファレンスは結果の他にその過程、フィードバックが大事である。回答したらそれで終わり、ではないことをきちんと教えてくれる。また、レファ協に自館のみ公開があることは知らなかった。各館で事例蓄積のために活用ください、というNDLの良心設定なのだろうか。どちらにせよありがたい。

本書でいろいろな情報検索の方法を知ることができたが、改めてNDL(特にリサーチ・ナビ)のすごさを思い知った。時間があったらなるべく読んでみることにしたい。
また、この本は職場のデスクに置いておいて折に触れてチェックしてみたいと思った。さすがに実戦も伴っていないといけないだろうから。

読書記録『「本の寺子屋」が地方を創る 塩尻市立図書館の挑戦』

「本の寺子屋」が地方を創る 塩尻市立図書館の挑戦

「本の寺子屋」が地方を創る 塩尻市立図書館の挑戦

「本の寺子屋」とは――
塩尻市立図書館が中心となって推進している取り組みで、講演会、講座等のさまざまな事業を通じて、「本」の可能性を考える機会を提供するもの。
地域に生きる市民の生活の中心にもう一度、本を据え直し、読書を習慣化させるための方策を、書き手、作り手、送り手、読み手が共同して創り出そうとする仕掛け。
(本書表紙カバーより)

まちづくりと図書館について関心をもっている、ある大学講師の方から紹介された本。塩尻市の図書館と聞いて思い浮かべるのがやはり内野安彦氏。同館元館長にして著作多数、FMかしま「Dr.ルイスの本のひととき」など活躍を挙げたらキリがない。そんな内野氏ももちろん登場する本書は、企画「本の寺子屋」ができるまでに焦点をあてたドキュメンタリーである。

まず本書の目次をご覧いただきたい。

・まえがき
・口上
・第一章「瞬間の王は死んだ」
・第二章「夜明け前」
・第三章「温泉の湯のような」
・第四章「ご近所を刺激してます」
・執筆余滴「情熱は伝播する 舞台裏から」

さらに細分化した項目もあるのだが、大枠の括りだけ見るとなんのことやらさっぱりわからない章タイトルが続く。そもそもこの本自体が「執筆された方、物書きにでもなるおつもりですか?」と言いたくなるような洒落た文章が続く。なので見知った名前が登場する小説を読んでいるようなおもしさがある。ただ責任者『「信州しおじり 本の寺子屋」研究会』が何の団体で誰が参加していて誰の視点でこの話は書かれているのか、あとがきの最後の最後まで明らかにならない。そこは結構ストレスだった(笑)

第一章では、長野の地に移り住んだ編集者・長田洋一さんの過去の話からスタートし、本作りへの思いが描かれる。また後半では塩尻市立図書館に関する情報が紹介される。
第二章では引き続き長田さん視点で話が進む。安曇野の地へ移り住み、近隣でセミナー講師などを引き受けていた長田さんは、古書店巡りの折、塩尻市立図書館の館長の名前を耳にする。そしてついに塩尻の図書館を訪れ、館長・内野安彦さんと対面する。
第三章では「本の寺子屋」の開始直前までの話となる。偉大なる先人・鳥取県米子市本の学校」との関係にも触れられており、マスコミを巻き込んでだんだんと「本の寺子屋」が注目を浴びていく。
第四章は「本の寺子屋」開催の反応や、一部イベントの内容紹介など。ノンフィクション作家・大下英治さんの講演が特にピックアップされており、刺激的な内容となっている。

以上、かなり雑な紹介である。読み物としても想定されている印象で、内容を事細かに書くことが憚られた。ただ、ひとつだけ言っておくと、この本の良さは「図書館サイドで書かれていない」ということだろう。長田洋一さんをはじめとした本書そして本の寺子屋のキーパーソンそれぞれに注目し、一人ひとりの人物像を順々に描いて行き、本書の形は浮かび上がってくる。そのキーとなる人物は内野さん、伊東直登さん両元館長などのように図書館関係者ばかりではない。それぞれのプレーヤーの思いが綴られ、それらを一つに結実したかたちが「本の寺子屋」となっている。それぞれの目標という名のベクトルが指し示し、そしてひとつに交わるところが(都祁が思うには)「生活の中に本が生み出す可能性」なのかもしれないなぁと思うのである。

個人的でどうでもいい話だが、最近とても嬉しかったレファレンスがある。私の地元にはある有名な一族の歴史が多く残り、個人および団体で研究している方々がいる。その研究成果を自費出版している某団体の本があまりに人気で、現在入手困難となっていた。近隣の図書館も所蔵なし。ILLで取り寄せをするも長くは借りられない。ある利用者に「個人的に買う方法はないだろうか?」と尋ねられ、首を傾げた。そもそも出版数もかなり少ない。冗談で某古本屋ネットワークサイトで検索するとまさかまさか、名も知らぬ地元の古本屋がヒットし、お手頃価格で数冊の在庫をもっていた。理由はわからないものの、なぜかとても嬉しかった。地元の人が出版した地元の歴史の本がとても優秀な出来で、それを地元の利用者がどうしても読みたいと思っていて、それを扱っている地元の古書店があり、それを紹介することができたということ。おそらく嬉しさの原因はそういうことなのだろう。
気付けば「地元の書店(古書店)が儲けてくれるならこんなに良いことはないよ」と、呟いていた。

読書記録『コピペと捏造』

コピペと捏造:どこまで許されるのか、表現世界の多様性を探る

コピペと捏造:どこまで許されるのか、表現世界の多様性を探る

某人文系出版社の団体のチラシに載っていた一冊。仮に図書館学の本が載っていなくても人文系のチラシはついつい見入って結果→散財してしまう。今回は理性を働かせ図書館絡みの樹村房の本だけに注文を止めておいた(笑)と言いつつチラシはこっそり保存しておく。

本書の「はじめに」にこうある。

筆者はもともと学術研究における不正行為に興味があっていろいろ調べていたのですが、学術研究以外でもさまざまな不適切行為があることに気づき、ついついのめりこんでしまいました。

この本は、そうして筆者が調べ過ぎたコピペや捏造の事例を順々に紹介していく内容となっている。それぞれの事例にきちんと解説はなされているが、本文の主旨としてパクリや捏造の線引きを行うといったものにはなっていない*1。学術研究における問題は基本的に対象外で、おおまかに「コピペとパクリ」、「パロディとオマージュ」、「捏造と改竄」といった区分の3部構成となっている。

第1部「あらゆる分野にはびこるコピペとパクリ」は本書のおそよ半分を占めている。秋里離島『木曽路名所図会』と島崎藤村『夜明け前』の関係から始まり、近年の小説家の盗作事例、判断の難しいノンフィクションや俳句の盗用、他にも新聞記事、音楽、映画、演劇、漫画などなど。紹介される事例はかなりの数であり、最近話題となった東京五輪のエンブレム問題にも言及している。個人的に一番興味があったのは生徒や学生のコピペレポート問題で、「自由に使える読書感想文」や、コピペが難しいレポート出題とその対策について述べられている。
本文から話はずれるが、どちらも私には興味深いエピソードがある。前者は以前勤めていた高校で本当に上記のサイトの丸写しをした感想文が提出され国語の先生が怒った話である。普段意地でも文章を読まない読書嫌いな生徒が、いきなり某古典的名著で感想文を出してきたのだからその教員もびっくりだったようである。本文の内容を聞けばまったく理解できておらず、すぐに不正は発覚したらしい。これくらい正直なら話は早いが、巧妙な不正は対策が難しいだろうなと想像できる。後者は私の出身大学での話。講師の先生がレポート課題を発表したのだが、そこでこう付け加えた。「毎年同じ課題を出しますが不正はやめてくださいね。昨年まったく同じ内容のレポートを提出してきた二人の学生がいました。一昨年にもそれと同じ内容のレポートを提出した人がいて、こういうのはすぐばれますよ」と。こっちの例もバカ正直に丸写ししたので発覚したもの。しかし、「ちゃんとチェックしてるからね」と釘をさすのはある程度効果があるのかもしれない。

第2部「バレないと困るパロディの世界」ではオマージュやパロディについて見ていく。冒頭に紹介される著者がTwitterで見たツイート
*2では「バレると嬉しいのがオマージュ」「バレないと困るのがパロディー」とあるが、なかなかに的を得ているように思える。マッド・アマノのパロディ写真事件や『バターはどこへ溶けた?』事件の裁判から、日本ではパロディと認められても著作権は侵害してはいけないという、パロディ作品の創作が難しくなった事実を指摘している。他に扱われるテーマに「ドラえもん最終話」事件や「面白い恋人」事件を挙げている。感想だが、パロディも難しいと思ったが、オマージュも人によってはパクリと激昂する人がいそうで、それだけでも複雑な問題だと思った。

第3部「怪しい捏造と改竄」では少し趣向が変わり、テレビ番組のヤラセやグラフの改竄、佐村河内事件、ネッシーやミステリーサークルが扱われる。バラエティに富んでいるが、捜査当局などの公権力による捏造・改竄を扱った事件はとても許しがたいものばかりで、特に知っておきたい内容となっている。

誰でも知っているような近年の事件から百年以上前の事例まで本当にいろいろな問題が扱われている。本書の広告にあるように、不正に「白黒つけるわけではありません」本であり、はっきりさせたい人にはあまり向かない本かもしれない。ただきちんと参考資料が挙げられているし、それぞれの事件の説明も本文中でなされているために、そのような目的で読んでも決して損はしない本だろう。

*1:もちろん判決事例などもあり、一切取り扱っていないわけではない。

*2:参照 https://twitter.com/telsaku/status/633963559924293632 2017/05/01確認

読書記録『図書館情報学を学ぶ人のために』

図書館情報学を学ぶ人のために

図書館情報学を学ぶ人のために

筑波の学生が購買で列を作って購入している(?)画像が某SNSで出回っていて、それにつられてついつい買ってしまった。あの行列が本当にこの本を買うためなのか判然としないが、そうだとしたらなぜこんなに関心が高いのだろうか、と。本を開いてみると執筆者陣が筑波関係者だらけで、なるほどなと思った。とは言え自主的に買って読んでいるのだとしたら有望な若者たちである。

閑話休題世界思想社の定番シリーズ「学ぶ人のために」に図書館情報学が登場。まさしく図書館情報学の初学者向きの本で、図書館情報学で扱われているテーマを20章に細かく分けて収録している。「司書になる人のために」ではないのがミソで、現行の司書課程科目の教科書や案内書とはなっていない*1

以下、目次。

第1部 知識の宝庫、図書館
 第1章 図書館の誕生と変貌(呑海沙織)
 第2章 本が生まれる場所、育つ場所(永江朗
 第3章 偉人たちの知識はそこにある(逸村裕)
 第4章 図書館情報学からみる図書館の姿(根本彰)

第2部 図書館の舞台裏
 第5章 公共図書館のサービス(池内淳)
 第6章 大学図書館の仕事と経営(中山伸一・加藤信哉)
 第7章 学校図書館の活動(平久江祐司)
 第8章 国が考える図書館政策(溝上智恵子・毛利るみこ)

第3部 図書館のある知的な社会
 第9章 マイノリティを支援する図書館(吉田右子)
 第10章 知識が活性化する場所(三森弘)
 第11章 人々のイメージのなかの図書館(松林麻実子)
 第12章 ネット社会の青少年と図書館(鈴木佳苗)

第4部 図書館の向こうに広がる知識の宇宙
 第13章 知識はどこにあるのか(膻山幹子)
 第14章 分類を通して知識の体系をとらえる(緑川信之)
 第15章 知識を探す仕組み:書誌情報(田窪直規)
 第16章 社会と文化の記憶(白井哲哉・水嶋英治)

第5部 21世紀の技術が示す知識のカタチ
 第17章 1億件のデータから必要な情報を探し出す技術(原田隆史)
 第18章 検索と推薦の技術(関洋平)
 第19章 知識をリンクする技術(高久雅生)
 第20章 世界の知識に到達するシステム(宇陀則彦)

1部4章ずつ計5部の構成となっており、編者の意向で各章の順番に流れがある。とはいえそれぞれの執筆者は比較的自由に書いた印象で、記事はばらばらに読んでも決して支障はない。いずれも1章10ページほどの分量にまとめられていて読みやすいが、書く方は苦労したに違いない(笑)
以下、(本当に)簡単に各章を紹介してみる。

第1章「図書館の誕生と変貌」は駱駝の背に蔵書を載せた「駱駝の図書館」からボストン公立図書館まで、図書館と本の歴史を短くまとめている。第2章「本が生まれる場所、育つ場所」は出版社や取次等の仕事の解説が行われる。再販制や委託制にも触れ、図書館以外の本に関わる環境を押さえている章である。第3章「偉人たちの知識はそこにある」は学術ネットワークと一体化し、学術情報基盤となった大学図書館の変化を複数の点で見ていく。学術論文をめぐる状況にも触れるなど、大学図書館ひいては学術情報基盤のこれからについての内容となっている。第4章「図書館情報学からみる図書館の姿」は「図書館情報学とは何か」という大きな問題に言及する。アカデミズムとプロフェッショナリズムをキーに、日本と世界の図書館情報学の位置づけ・歴史を比較している。

第5章「公共図書館のサービス」ではその名の通り公共図書館のサービスを細かくわけて解説している。先進的なサービスにも触れており、単純にそれらの説明だけに留まっていない。第6章「大学図書館の仕事と経営」はその名の通り大学図書館の仕事をテーマにしている。大学図書館の事務長と館長の仕事に重きが置かれているのが特徴である。第7章「学校図書館の活動」は学校図書館3つの機能「読書センター・学習センター・情報センター」に触れながら学校図書館の現状と未来を論じている。第8章「国が考える図書館政策」は主に公共及び大学図書館の図書館政策動向について解説している。

第9章「マイノリティを支援する図書館」では世界に目を向けて難民・移民、性的マイノリティ、先住民などへの図書館の支援の事例を紹介している。そして、なぜ図書館が多様な文化的背景をもつマイノリティを支援するのか、その意義についても触れている。第10章「知識が活性化する場所」は「場」としての図書館の可能性についての章となっている。事例として同志社大ラーコモ、筑波大図情図書館ラーコモ、武蔵野プレイスの3つが挙がっている。第11章「人々のイメージのなかの図書館」は映画やドラマ、小説のなかに登場する図書館・図書館員を分析し、そのイメージがどのようなものかを明らかにする試みである。第12章「ネット社会の青少年と図書館」はインターネットや本を使った情報探索や課題解決に必要なインフォメーション・リテラシーについて深めていく。探究的な学習とそのモデルにも言及していて興味深い。

第13章「知識はどこにあるのか」は「知識」について哲学的に論じている。まさしく異色の章で、「図書館」より「そこで扱われる知識」に最もフォーカスを当てる第4部の入りに相応しい内容である。第14章「分類を通して知識の体系をとらえる」では日本十進分類法に代表される分類法の特徴や歴史が解説されている。情報資源組織論に接近するテーマであり、知識や学問の体系をとらえるという大きな問題について改めて意識させてくれる章となっている。第15章「知識を探す仕組み:書誌情報」では資料(知識)を探す仕組みとしての書誌情報を解説している。図書館資料の書誌コントロールに限らないウェブ世界のメタデータのコントロールまで紹介されており、ウェブ世界のメタデータのカオス状態を減じる新しい可能性にも言及している。第16章 「社会と文化の記憶」では図書館情報学の類縁分野であるアーカイブズ学や博物館情報学について解説している。余談になるが、一時MLA連携という言葉が図書館界で流行したが未だに他の文化施設について詳しく知らない、または関心をもっていない図書館員は多くいるように思う。自身その一人なので改めて勉強し直すいいきっかけになった。

第17章「1億件のデータから必要な情報を探し出す技術」では、情報を探し出す仕組みの章となっている。具体的に取り扱っているトピックは資料の同定や検索のためのコンピュータの高速化などについてである。第18章「検索と推薦の技術」ではAmazonなどの書籍販売サイトや本棚サービス(読書管理アプリ)で導入されている推薦の技術について説明がなされている。第19章「知識をリンクする技術」は15章で登場したセマンティック・ウェブのより深い解説がなされているのが特徴である。その基盤となる技術の説明や、今後の課題などが主な内容である。第20章「世界の知識に到達するシステム」で主に扱われるテーマは、ディスカバリサービスの登場とこれからの図書館についてというもの。図書館は資料提供を通じて人と知識をつないできた。ディスカバリサービスの登場で図書館の役割は下がったのか?その可能性を探っていく。

付録もあるものの、メインとなるのは以上の20章である。哲学的な考察も含め、本当に多様な内容となっている。「このいずれかが琴線に触れたなら、ぜひ図書館情報学をさらに深く学んでみてもらいたい」という執筆陣のメッセージを強く感じるのはおそらく私だけではないだろう。私の(本当に)ひどい解説よりぜひ原著をお読みいただきたい。

本書と同月(同日か?)発行の『プラグマティズムを学ぶ人のために』も含め、平成29年4月時点で世界思想社の「学ぶ人のために」シリーズは273件出版されているようである。本書の20章だけではまだまだ図書館情報学の研究分野をカバーできないし、他にも272(もちろんそれだけのはずもない)もの学問が世に存在しているという驚きを改めて感じた。それらの知識を扱うのだから、図書館や図書館情報学は本当に奥が深いものである。

*1:ただし付録として「司書になるためには」が収録されている。

読書記録『地方自治と図書館』

慶應大の片山善博・糸賀雅児両氏による一冊。地方自治と図書館(基本的に公共図書館)についての論考や対談を集めたもので、読むために前提となる図書館業界の専門用語が少なく、比較的読みやすい内容となっている。
片山氏の執筆・講演録の箇所は氏の地方自治に対する情熱が込められており、図書館関係者としては胸が熱くなる思いである。また、糸賀氏が(その実質的な中心人物であった片山氏の解説を受けて)「住民生活に光をそそぐ交付金」について考察を行っているのが本書の注目点と言える。

本書は4部計11章構成となっている(部のナンバリングはローマ数字)。

第1部「図書館は民主主義の砦」(1〜3章)
第2部「地方財政と図書館」(4〜6章)
第3部「地域の課題解決を支援する図書館と司書」(7〜10章)
第4部「地方自治と図書館政策」(終章)

第一章「知的立国の基盤としての図書館」では、片山氏がこれからの日本が目指すべき「知的立国」像について解説する。「知識や知恵さらには知的財産に基づいて国民を豊かにし、同時に世界に貢献できる国家」=知的立国には以下の特性があるという。
・科学技術立国として「地球環境問題、省資源・省エネルギー問題、医療など様々な分野で世界をリードすることによって、世界に貢献するとともに、経済的にも国民生活を豊かにする」。
・文化芸術大国として「文化や芸術の力によって国民を心豊かにし、併せてわが国の文化や芸術が世界の人々を魅了し、彼らの心も豊かにする。それは、結果としてわが国の政治や経済にも大きく裨益する」。
・透明で清潔な政治の実現。上記2つを行うために不可欠。目先の利権でなく、国の将来を見据えた財源の配分など。
知的立国を実現するために必要なのはこれらを担うに足る人材の養成であり、少数のエリートだけでなく、それらを支える国民の形成も必要であるという。そのために必要なのが教育であり、並んで重要なのが図書館である。図書館の支援の例として、ここではビジネス支援が紹介されている。

第二章「図書館のミッションを考える」では、第一章を受けて図書館の役割をさらに具体的に見ていく。片山氏の鳥取県知事時代のエピソードが紹介され、県庁図書室に司書を配置した経緯に触れている。地方分権時代では中央官庁作成のマニュアルに頼って政策を形成するのではなく、自分たちでも情報を収集する必要がある。そのために必要なのが図書館だと言う。
また「議会の自立と議会図書室」という項も立て、議員が執行部の行政運営に意見をする際に、そのための情報を執行部からしか得られない場合の問題点を指摘している。執行部は自分たちの考える最善の策を執っているわけで、それに不利な情報が出てくることは(人情的に)まず考えられない。直接得られる情報だけでなく距離を置いた資料・情報をもつことを、片山氏は「対抗軸を持つ」と呼んでいる。

第三章「民主主義社会における図書館」は糸賀氏の担当である。地方自治や情報公開と図書館について、関連法規や綱領を材料に考察している。教育関係法制に位置づけられる日本の図書館において、民主主義との直接の関わりを言及する条文は見られないものの、国民の意思決定に重要な情報提供の機能を近代図書館に担わせようとしていたと解釈できる条文と当時の解釈が図書館法には存在していたという。

第四章および第五章は2012年開催の第14回図書館総合展キハラ株式会社創業九十八周年記念フォーラム「地方財政と図書館」において片山氏が行った基調講演と、その後に続くパネル討議の内容が収録されている。パネル討議登壇者はコーディネーター役の糸賀氏の他に片山氏、上月正博(文部科学省大臣官房審議官)、武居丈二(総務省地域力創造審議官)、永利和則(福岡県小郡市立図書館館長、日本図書館協会理事)。※すべて役名は当時。
前半の片山氏の基調講演「図書館と地方自治」では、氏が鳥取県知事として見た地方行財政事情について、また総務大臣として「住民生活に光をそそぐ交付金」を創設した当時のことを話されている。前者は昨今注目の集まっている地域経済の再考についての論考に通じるものがあり、後者は続く第六章でさらに展開する。
後半の「地方財政と図書館」は図書館事業とその財源がフォーカスされており、様々な話が出てくるものの地方予算についての議論が中心である。

第六章「光交付金が図書館にもたらしたもの」は糸賀氏による「住民生活に光をそそぐ交付金」の調査の報告となっている。通称「光交付金」が全国的にどれだけ図書館予算として配分され、その予算がどのような費目として使われたのかといった数字の他、その意義や問題点、交付金の趣旨を正しく受け止められていない自治体の存在などについて論じている。光交付金の交付からもう数年が経過したが、このような調査は他にあまりなさそうである。本書の特徴のひとつとして挙げておきたい。

第七章「まちづくりを支える図書館」は糸賀氏担当。図書館の「集客力」と「認知度」を利用した「まちづくり」の事例と効果を紹介する。図書館があることによる「来街頻度」の増加、桑原芳哉氏による分析を紹介し中心市街地に複合施設として図書館があることの「賑わい」と「売り上げ」の効果の如何を述べている。

続く第八章「「地域の情報拠点」としての課題解決型図書館」では、昨今言われる「地域の情報拠点としての図書館」のあり方を考察する。『市民の図書館』とそれに代表される「貸出」中心のサービスの考えが今なお続いていることへの批判的な考察から、これからの図書館が注力すべきサービスについて解説している。それこそ例の本の信奉者から「現場をわかっていない」と言われそうな内容だが、貸出の増加がレファレンスの増加に結びつくとは言えないことは指摘の通りだと思われる。『市民の図書館』批判もいいのだが、ここはとても重要なトピックだと思われるので、それ以外の部分、つまりこれからの貸出以外のサービスについてもっと紙面を割いてほしかったかなというのが正直な印象である。

第九章「地方自治を担う図書館専門職のあり方」では、司書のキャリアデザインについて触れられている。キャリアパスとしての認定司書制度をイギリスの同様の制度も引き合いに出しながら紹介している。糸賀氏の言う「「必勝」とは言えないまでも「このまま負け続けない」ための打つべき一手」という言葉がいやに頭に残る。本筋からずれるが、認定司書は言わば公共図書館司書のためのものであるし、関係のない図書館員から見ると、現行のそれはとてもではないが取ろうと思えない。もちろん個人の感想である。

第十章「「地方創生」の視点から見た図書館と司書」は再び片山氏による執筆である。内容はまずうまくいくようには思えない地域創生の話。武雄市の図書館の事例も出しながら、地元の企業の事業機会を奪い、利益が域外に出てしまう問題を指摘している。次に図書館の指定管理者制度の問題について。指定管理者制度で削られる人件費が司書の待遇を下げ、長期で勤務することができない状況を作り上げていることを問題視している。情報の拠点を作り上げることも、数年単位の契約である指定管理業者がなじむかどうか疑問である。
もちろん、指定管理でない(いわゆる)直営でも劣悪な待遇は多いし、数年単位で司書が入れ替わっているところがほとんどだろう。そのため個人的には指定管理者制度の導入に賛成も反対もしない。確かに指定管理者制度はそのほとんどが人件費削減の路線から出てくるので、直営の方がまだ少しだけマシなのかもしれないが。本筋から逸れているが、長期の視点で働けないことを理由に指定管理者制度はなじまないとするのは違うのではないか、と個人的には思ったりする。
最後に認定司書への期待について書き、稿を終えている。

終章「対談・地方自治と図書館政策――自立支援こそ図書館のミッション」は、著者ふたりによる対談となっている(2007年 於:鳥取県庁内知事室)。第1回ライブラリー・オブ・ザ・イヤー鳥取県立図書館が受賞した翌年のものであり、内容は他の章をまとめたような内容となっている。ただ、片山氏が自身の考えや価値観について語っているシーンが少し多めの印象である。自身の図書館政策の理由として、いつか自分が知事をやめ、ひとりの市民として暮らす時、「そうした時にどういう地域であってほしいか」という言葉があって印象に残った。

片山氏の知的立国の考えが随所に入っており、情報公開についての意見も強く共感を覚えるものであった。また間を縫うように糸賀氏がこれからの図書館サービスについて解説しており、押さえるべきところをきちんと押さえた合作だと思えた。「光交付金」の追跡にオリジナリティを感じたのでタイトルのどこかに入れてもよかったのにと思うが、さすがに変だろうか(笑)
余談だが、片山善博氏と言えば鳥取県知事として学校図書館政策にも力を入れたことで知られている。(また聞きなので詳細までわからないが)県立学校の図書館へ赴き、直接学校司書に厳しく(?)指導したという逸話も残っている*1。自分たちを肯定してお金を出してくれる人に(まさしく)甘えているだけではダメなのだなと思うエピソードである。

*1:実際学校図書館を見に行っていたということはご本人が某所の講演で仰っていた。

読書記録『認知症予防におすすめ図書館活用術』

あまりにも久しぶりの更新となる。体力も回復してきたし、そろそろこちらも再開したいと思う。
尤も、ものぐさな私がどこまで記録をつけ続けられるかという根気の問題はあるのだが。

来たるべき認知症人口の増加とそれに連なる種々の問題。これからの認知症社会への対策として「図書館を用いた認知症予防」を提唱し、その具体策を提示しているのがこの本である。
「はじめに」によると、厚生労働省の推測では2025年には認知症患者は700万人に上るとされる。認知症に罹ることによる本人の困難はもちろんだが、徘徊による事故の責任問題、認知症が疑わしい人の運転免許の問題、介護離職問題など、認知症にまつわる問題には周りも無関係ではいられない。本書では、認知症社会への対策としてまず認知症を予防することに主眼を置いている。そこで「なぜ図書館なのか?」という理由について、著者は次の理由を挙げている。

・図書館には知的好奇心を刺激する様々なジャンルの本がある
・映画の上映会や読書会などをはじめ、いろいろなイベントを開催しているので、それらに参加することで脳に良い刺激になる
認知症予防教室などを開くにしても、医療保健施設と比べて堅苦しくなく足を運びやすいのではないか

三者については「認知症予防教室を開いても若年者と男性の参加率が高くないようである」ことにも触れている。

第1章「知っておこう!認知症の基礎知識」では、認知症の種類・その症状と原因について詳しく解説している。認知症の前段階として注目される軽度認知障害(MCI)や社会的認知という新たな認知症による障害の項目にも触れており、前者は認知症の対策において重要なキーワード、後者は認知症に苦しむ人への一層の理解をする上で欠かせない情報となっている。

第2章「やってみよう!図書館で認知症予防」では、図書館での読書による脳の刺激だけに留まらない一連の認知症予防メニューが紹介される。具体的には図書館への行き帰りの早歩きから図書館で本を探す行為によるワーキングメモリーの訓練、図書館でランチするお弁当の用意と食べ方、読み聞かせによる前頭前野の刺激、図書館イベント参加による人との交流などなど。必ずしも図書館でなくてもできることが多いが、それだけ徹底して認知症予防の機会を掲載しているということでもあるし、近隣に図書館がなくあまり足を運べない人にも参考にできる情報が載っているということでもある。

第3章「読んでみよう!五感に響く児童文学」は、五感に響く児童文学五十冊のブックリストとなっている。その五十冊以外にも「五感を働かせながら読むときのポイント」の一例として十一冊の本を紹介し、例文を引いて解説している。余談だが、後者の十一冊の解説文がかなり丁寧で、著者の思い入れを感じる。

第4章「活動報告 図書館で‘ライブリハビリ活動‘」では、ライブリハビリ活動(=ライブラリーでリハビリテーション医療の知見を広め、地域住民の健康づくりに貢献する活動)の一例として、著者が行ってきた図書館における医療健康講座の紹介が行われる。また、15年以上にわたり地域住民を対象にした医療健康講座を開催してきた著者が、参加者の多くを占める「健康に関心のある中高年女性」以外の人の参加率の低さについても考察している。
足腰の衰えに一番最初に直面するのが中高年の女性だからでは、などと素人考えで私は思ってしまったが(確かにそれも一因だろうが)、図書館が会場なら男性参加者の割合が多いことを考えると著者の説の方が正しいように思える。

「社会の高齢化」はどこの自治体のホームページを開いても首長が語っているような全国に例外のない地域の課題である。わかっていながらもまごついてまともに向き合えてこなかった図書館業界に一石を投じる本だなぁというのが読後第一の印象である。もちろん本書が扱うのは「認知症」というその(主要ながら)一側面に過ぎないわけだが、一読すればわかる通りここで書かれている具体策は多くの高齢者医療健康問題への対策に広く通じている。よって高齢人口の増加という地域の課題に直結する一策と言って間違いはないだろう。
各種図書館の蔵書を検索すると、本書は4類より0類に分類されていることが多いようだ。図書館も認知症予防に貢献しなくてはという気概の表れなのかもしれない(どこかのMARCを一斉に買っているだけかもしれないが)。
これは個人的な印象だが、高齢者を対象にした*1図書館イベントなどは効果が見えない(多くは貸出冊数の増加に繋がらないからか)という理由で看過されてきたように思う。取っつきやすいタイトルと表紙イラストで(まず)多くの図書館員がこの本を手に取り、そして読み、少しでも変えていく方法があるのだと知ってもらえるといいと思う。

*1:もちろん著者が対象にしているのは高齢者や健康問題に今現在直面している当事者だけではない。